放送禁止用語が凄かった時代が90年代まで?

最近知人が地方UHF局で放送されている1970年代のアニメが凄い! と日記で書いているのを日記のタイトルだけみて、
「これは70年代に放送されているアニメのテーマが現在に比べて濃いために凄いと絶賛しているのか?」
と期待しながら感想を読んでみたら、確かにそういった事も凄いといっているのだが、
凄いというポイントが、
「今では放送出来ないような言葉が頻出してみていて面白い」
という事だった。
ちょっと予想と違う。

こういうどうでも良い個人的な話。
ただ、こうやって騒ぐキモチは共有できるんです。
かつての漫画作品などで今では差別用語とされる言葉を見つけると、何か得したような気分に。
映画などでも、そういうシーンを見つけては編集していたことも。

ただ、こういった言葉を使っている事が、最近、そんなに凄いのかなあと思う部分もあります。
最近のCS放送などでは差別の意図がなかったことを示して、そのまま放送することもありますし。
そもそも地方局での再放送で、そのまま流されているという事実自体、そんなに問題ないという判断の証なのではないか。

思うに、こうした差別用語を喜ぶのは、一時期、そうした差別用語に飢えていたという結果ではないか。
70年代には普通にテレビで流されていた番組が、
たとえば某会の活動であるとか、
某星人の回であるとか、
80年代には観れなくなってしまったものがあった。
それで、そうした差別表現(それが本当に差別であるかどうかは別にして)が、少なくとも表向きは無いことにされていたわけです。
テレビでは見れなくなっていた。
でも考えれば、そういうのって、マニア間では意外と出回っていたかも知れないのですけど、
そうした、
「テレビでは放送出来ないもの」
が凄いものだという共通認識があった。
そういうのを観るには、それなりのコスト(ネットワークを介したり代金を払ったりだとか)が必要だった、
そんな時代があったんではないかと思う。

ところが、2000年代、そうしたものの希少価値は、薄れていたと思います。
色んな要因はありますが、
平凡な論の流れですけど、やはりネットが一番大きいのでしょうね。
問題表現があるという映像の存在自体が影ではあるのだけれど、公然の秘密化したし、
映像自体も、探せば見つからないこともない。

だから、テレビで流れないものって、
ネットの普及とともに、
その時代のモノは、そういった表現があったという記憶が最初から植えつけられている、
そういう時代なんだと思います。
ネット以外にも原因はあるでしょうが。

それで、そこでギャップがあると思うんです。
最初から、ある時代には許された表現がある時代には駄目になった、
という知識を持っている人にとっては、
その知識に乗っかって、
「凄い」
と思う人もいるんでしょうが、
大多数にとっては、
「そう、それで?」
という既定の事実になっている可能性もあるのではないかと。

普通に放送できた時代を知っている人にとっては、
駄目になった時代を知っているから凄いと思うのですけど。

現在10代〜20代の人にとっては、あまり関心を惹かないのでは?
と思うことがあります。
勿論、知っているのと、そうした表現を見て時代背景を理解するのは違うのですけど、
認識を共有出来ないのかも。

何も根拠なく書きますが、
おそらく、放送禁止用語が”凄かった”時代は90年代までくらいかな?
という感触があります。
その時代を共有する人だけ、そうした記憶を持つ人だけ、今、耳にしても凄いと感じられるのかも。