まどかの魔法少女アニメファンへのトラップ

kumaXX2012-12-05

先日、池袋コミュニティ・カレッジの氷川竜介氏によるアニメ講座に出席した。講座のテーマはアニメのジャンル。ジャンルという切り口で氷川竜介氏によるアニメに関する講座が行われ非常に楽しく興味深い内容だった。詳しくは講座を受講して聞いてもらうしかないのだが、アニメを様々なジャンルとしてとらえる場合何をジャンルと捉えるかについて解説があった。ひとつ足りないなと思ったのはスタジオによるジャンル分け(たとえば京都アニメーションアニメであるとかシャフトアニメといったジャンル分け)なのではと思ったが、枝葉末節なので、そう思ったとだけ記す。それ以外は自分には気づかぬ視点が多くあり、こうした講座に参加することで得られることは大きいと思った。さて、その講座のなかで気になったのは魔法少女ものというジャンルを考えた場合、「魔法少女まどか☆マギカ」ではジャンルのお約束を逆手にとっていたという解説である。魔法少女ファンにむけて放たれたトラップともいえる。ジャンルのお約束を逆手にという内容は、おそらく氷川氏が指摘した通りだろうし、まどか☆マギカについてはさんざん言い尽くされていると思うが、自分の頭の整理のために、ちょっと講座を聞いて思った事を記す。


魔法少女まどか☆まぎかがジャンルのお約束を逆手にとったという場合、魔法少女ものというジャンルと、そのお約束が何かという事を確定させればよいと思う。
ジャンルの定義やサブジャンルの分類についてはやるだけ不毛なので(あるジャンルについてはそれまでの定義や分類に当てはまらないような作品が日々作られていくため、なんとなくこういうものだとは言えても定義自体サブジャンルの分類自体行えば行うほど陳腐化し意味のないものとなっていく。気になる方は例えば斎藤環の『戦闘美少女の精神分析』の分類や『国際おたく大学』のロボットアニメの分類を今読み返してみると良いだろう、90年代のアニメの味方を教えてくれはしても、こういう分類がいかに不毛な試みかを示す例ではないか? ウィキペディアでは最初に定義の難しさと書いてあるが、無駄な試みだと思う)、魔法少女まどか☆まぎかで想定している作品とは、何となくこういうものという作品を挙げていく。
魔法少女まどか☆まぎか」が前提にしている作品はなんだろう? それは1.少女が力を手に入れ2.その力を使って敵と戦うというもの(単純な印象)から挙げてみる。

プリキュアシリーズ
マーメイドメロディーぴちぴちピッチ
東京ミュウミュウ
アキハバラ電脳組
美少女戦士セーラームーン(とそのシリーズ)

なかよしとタイアップしたアニメ化作品? たぶん大きな間違いではないと思う。セーラームーンのヒットを受けて、その二匹目のどじょうを目指した作品はこれ以外にも多くあるけれど、細かく追いかけてもあまり意味はないと思う。
大事なのは、魔法少女とつけられたタイトルから漠然と思い浮かべる作品と、作り手の意図的なミスリードによる今後の展開の想像と、結論の落差だろうから。
おそらく、視聴者は(このスタッフなら一筋縄ではいかないと思いつつも)、まどか、では魔女と戦うために魔法少女が集結し、魔女によりまき散らされる災いを戦って防ぐ、そのために、まどかは魔法少女になる、といった展開になるのではないか、と漠然と思っていたのではないかと思う。最初の3話までは、不穏な雰囲気が漂いながら、そうした展開を予想させている。また手に入れる力により、実際に人を救う場面が描かれ、今後も人々を救う展開を予想させていた。そうした平凡な展開を予想させる要素をちりばめていたからこそ(そして並行して不安な要素も)の落差だだろう。

では、まどか☆マギカ以前に、そうした魔法少女のお約束を逆手にとっていた作品はなかったかといえば、多くある。
例えば、大魔法峠は、魔法の国から修行でやってきた魔法少女やそのマスコットに関するお約束を逆手にとって、それをギャグとして昇華させている。個人的には、構造的には、まどかの姉妹的な作品なのだと思う。
他にも、リリカルなのはなど。魔法のプリンセスミンキーモモでは、普段使っている魔法以上の力に目覚めた主人公が死んだ。これも、せいぜい「魔法の国」に帰るラストを想像していた視聴者には驚きがあったと思う。
魔法の天使クリィミーマミでは、ちょっとニュアンスが違うかもしれないが魔法というギミックが存在する世界のあいまいさやファンタジーな世界観を変え、この日常に魔法が存在したらというシミュレーションを行ったという点と、何のために魔法を使うのかという点で、新しいと感じられたのではないか。
マスコットキャラが実は・・・という展開も、神風怪盗ジャンヌ秋葉原電脳組などで、見られたもので、やや手あかがついているかもしれない。
こういう作品を見ていけばわかる通り、その時点その時点では、それまでの作品のお約束をすこしずつ破ってきていたわけだから、サブジャンルは常に更新され続けているだろうし、今後もされていくだろう。ある意味まどかマギカが大きな衝撃をもって迎えられたという事は、視聴者にそれまでの魔法少女ものの蓄積がなかったともいえる。とはいえ、単にお約束を破ったという事だけでは、まどか、のような衝撃は生まれない。例えば「マーメイドメロディーぴちぴちピッチ」があれだけ衝撃だったのは、玩具展開のためだとはいえ、歌とバトルが強引に組み合わさった異化効果が大きいだろう。では、まどかマギカについて衝撃が大きかったのは、なぜか。やはり13話完結の1クールシリーズとして放送された事によるシリーズ構成の効果が大きいと思う。まどかが前提にしていた魔法少女ものは玩具展開とともに放送される作品である。玩具の展開にあわせ1年単位の放送が予定されているため、まれに新玩具をリリースするための盛り上がりはあるが、基本的には繰り返し1話完結である。お約束には、そうした放送形態を前提に作り上げられたものが多くあると思う。
まどか、では、1クールという放送形態であるがゆえに、それがお約束として成立するまで放送が続かないという点があったと思う。ここで思い出すのは、十兵衛ちゃんラブリー眼帯のひみつである。これは毎回ラブリー眼帯を狙う敵との戦いが展開される、のだが1クールという短さのなかでは、それがお約束の展開といえるには全体が短すぎる印象もあった。
まどか、は、ジャンルは逆手にとってはいるが、放送形態の上では、非常に、現在の深夜アニメっぽい〜短い話数の中に怒涛の展開、強い引きなど〜作品なのではないかとも思う。
それで、結論めいたことをいえば、確かにジャンルのお約束を逆手にとっているが、それだけで語るとジャンル内自家中毒になる気がする。その放送形態も、その物語の組み立てられ方に影響を受けており、アニメってジャンルなどの1トピックだけで論じると、的外れになるかもなという事である。他にも多く視点が見つかるだろうか。
すくなくとも、まどか、が仕掛けたトラップは、魔法少女というキャッチーなジャンルゆえに、そのジャンル内で語りたくなってしまうという点ではないか、と思う。斎藤環の『戦闘美少女の精神分析』の分類や『国際おたく大学』のロボットアニメの分類は、そうした欲望の結果だと思う。きっと、今後も、同様の欲望に駆動され、分類を続ける人がいるのだろうなあ。だって、それは意味はなくても面白いから。




なお講座が自家中毒な話だったというわけではないのだけは、書いてお置きます。今回はじゃんるの話だったから、こういう事を思ったんです。むしろ、講座で指摘があったように、”仲間”という分類の方がジャンルより使いやすいかも。まどかマギカは深夜放送の仲間。はい。