ゴルゴ13アニメED面白いよ!

ダメだ、オレが如何にダメな人間なのか良く分かった。


◆アニメ版ゴルゴ13のエンディングは、オサレな曲を背景に、人がどんどんゴルゴに殺されていく絵が淡々と流れていく様が、非常に面白いです。本編は、未だ第一話だから何とも言えませんが、今後に期待したいですよ!

後で再度ゆっくりと読みたい。>>memo:昨日読んだ本について
瀬名秀明の時空の旅より、「信じぬ者は救われる」*1
http://senahideaki.cocolog-nifty.com/book/2008/03/post_68fe.html

だから私は、菊池さんがニセ科学批判における笑いの効用を説いても、容易に信用することはできません。ニセ科学には笑いを浴びせよう、それが最大の批判効果をもたらす、という主張は、ときに怖ろしい凶器となることを知っているからです。相手を見くだすことで、自分を安全な高みに置き、自分を優位に立たせる、そのために嘲笑う。

笑うという行為が全て、「自分を安全な高みに置き、自分を優位に立たせる」のか?という疑問がまず沸きます。

どうも、この文は以前ネットで行われたという菊池氏(あるいは周辺の方?)による瀬名氏作品批判を踏まえているようですネ。

それとは別に、
瀬名氏のブログを読んでいて思ったのですが、瀬名氏は、フィクション作品を嘲笑されて作者が傷つくこともあるという御自分の経験を基に、”笑うという行為”は凶器になり得る事を論拠にしているように思います。
確かに、御自分の作品を嘲笑されたりすれば、作家として非常に心が傷つくとのではないかと想像できます。

ただ、これを論拠にして、「明らかにオカシイ疑似科学の主張に笑いをもって応える」という行為も、また凶器になりえる、という結論には直接結びつかない気がするのです。

菊池氏が効用として挙げている笑いの対象は、「疑似科学の主張」であって、必ずしも特定の人物を嘲笑するためになされるわけではないと思うからです。
疑似科学の主張は、誰が主張したに関わらず論拠や結論が無茶苦茶であれば、その主張そのものが笑える、あるいは笑うしかないという場合が多い様に思います。
あまりに想像の範疇や理解を超えた主張は、笑うという反応しか出てこない場合があるものです。

瀬名氏のように本人が作家であれば、作品は作家自身と同様だと思われるのも当然なのでしょう。
でも、意見や主張は 、基本的にその人物の人格と別個のものではないでしょうか。
主張している人が、どんなに立派で尊敬できる人でも、主張がおかしければ、その主張そのものが、批判の対象にならざるを得ないですし。

笑うという行為はメタな視点から為される/対象を突き放した立場からなされることが多いと思います。だから「自分を安全な高みに置き、自分を優位に立たせる」ような場合が全くないとは言えないと思いますし、まあ、トンデモな主張は、それを主張する人もトンデモな場合も多そうなので、主張を批判する場合、ついその人物自体をイジッてします場合も多いので、主張する本人への嘲笑に繋がる場合もあるのでしょうが。

あ、念のため言っておきますが、瀬名氏がトンデモだといっているんではないですよ?

少なくとも、菊池氏が誤解に基づいて瀬名氏の小説をかつて笑ったことで作者が傷ついた(こういう理解でいいのか?)のだとしても、それを根拠に疑似科学を批判的に笑い飛ばすという行為の効用を云々するのは、的外れな気がしませんか?

実験系そのものがダメなのか、それとも自分の手さばきの問題なのか? 文献をどうやって調べればいいのか? 実験のコツをつかむにはどうすればいいのか? どういう実験が本当におもしろいのか? そのセンスを磨くには? こういう経験を一つずつ積み上げてゆくことこそ、なにより科学の面白さであるはず。反証する意味がないという話ではなく、わたしがここでいっているのは実験をしたいというきっかけは何であれ大切にしなければならないということ。

瀬名氏の実験に関する考察は興味深い。

ただ、瀬名氏の実験に関する発言が、「信じぬ者は救われる」の対談の文脈で適切なのかを個人的に検証したいけど、肝心の「信じぬ者は救われる」がもう手元にないのです。
売り払っちゃったヨ!
なので検証できないですよ。
近所の図書館にないものか。

(関連)ああー。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1205593368
(関連)

フィリップ・K.ディックと Philip K. Dickって、同じ人だよね!!?と幼稚なことを書いてみる。

メアリと巨人

メアリと巨人

そういえば、電車の中でOLが読んでいたな。もう出ていたのですか?三巻目が。

ぼく、オタリーマン。3

ぼく、オタリーマン。3


宇野常寛さんという人
まとめ方が非常に面白かったのでメモ。
かむかむごっくん様より「宇野常寛(善良な市民)さんの歴史」
http://d.hatena.ne.jp/kossetsu/20080410

(関連)あうー。
http://www.hirokiazuma.com/archives/000390.html



◆上記のまとめを読んでいると、宇野氏は序列関係にビンカンな方なのではないかと思った、思いました。
私が以前佐藤江梨子の表紙に惹かれて買ったサイゾー
そこに掲載されていたのが「老害化が進むオタク論壇の憂鬱」。
実は自分はこのページのMAPを見て、大笑いしてしまったのです。そのときは、何故笑ってしまったのかの理由を後で考えて、まず①にと学会が配置されているのですが、何故他の文化圏に掲載されている論者の○○さんもと学会の会員なのに配置されていないのだろうか?じゃあ、そもそも唐沢・岡田両氏がと学会で括られているのって、どういう理由なのか。②では夏(以下⑯まで続くけど面倒なんで略)と、個別の配置がオカシイと思ったからでは、と自分では思っていました。前に日記で取り上げたときも、そういう論調で感想を書いていましたヨ。

でも、それは後付けであって、自分が笑ってしまったのは、このページの「最新オタク・マスコミMAP」という存在感というか迫力だったのだと思います。

自分はそれまで、こうした論者というか文筆業の方々は、立場の違いや嗜好の違いはあっても、それぞれの得意分野を生かして与えられた環境の中で仕事をこなしているのだなあ、くらいにしか思っていなかったのです。

このMAPを見るまで、オタク系の方々でこんなMAPが作成できるなんて事を思ったこともなかったんですね、だから正直自分の理解の範疇を超えているモノを見た瞬時に考えるのを止め反射的に笑ってしまった部分もあったんだと思います。改めて、この号のMAPを眺めると、大変なものですよ、コレは!!!
人物評を超えて業界MAPまで作成してしまう宇野さんって凄い人だと思います。

かむかむごっくん様によるまとめを読んで、やはり、彼の中にある序列に関するビンカンさがこんなMAPを作るモチベーションになっているのでは、と感じられましたよ。*2

後で冷静に眺めれば、配置には妙で変なところが多いですし、実はこの記事が発表された直後、自分ロフトプラスワンのイベントに行くの好きなんで、イベントなどで誰とは言いませんが取上げられている人が直接この記事に言及するのを聞くこともあったりして、後付けで更にMAPの妙な箇所や変な部分を聞いてしまったということもあり、今見ると最初に見たショックは二度と味わえないのですけれども。でも、評価が正しいかどうかは別にして文化圏のネーミングセンスに面白いものを感じる。

ここで、私がMAPを見て笑ったという理由を自分での再確認を込めて改めて申しておきます。
宇野氏の主張がオカシイからだとか、あるいは妙なMAPを作った宇野氏を嘲笑するだとか(多分宇野氏の文章を読む限り俺の100倍勉強していそうだし詳しそうだしとても嘲笑なんて出来ませんヨ!)、そういう理由ではなく、「老害化が進むオタク論壇の憂鬱」という特集名を目次にて目にしたときに想像した内容を遥かに超えるモノだったからだと。
せいぜい、オタク論壇は上が閊えているから大変なんですよ、といった程度の文章だと想像してなかった。
そうしたモノしか、自分は想像力がなかった。
ところが、目にしたものは文章だけでなく、迫力ありまくりの図ですよ!
しかも書いた本人がほぼど真ん中。
頭が真っ白になりましたよ。

だから、笑う、という反応しかなかった。
予想を超えたものを見ると笑う以外出来ないこともあるのだなー。

あと知人に指摘されて気付きましたが(読んで分かれ、バカな俺よ!)、老害の老が90年代の人だというのも、ビックリ。
年代的に、オレも老害の世代ですよ!

改めて思いました、この特集における宇野氏って凄いな。同サイゾーの他のオタク関連記事からも浮いてますよ。
主張は変なところもありましたけど、それはそれとして。
まとめ記事を書かれた方が注目するのも頷けます。

そして、
ガンダムOOは我々に一体なにを見せてくれるのだろうか。

新世紀エンタメ白書 2008 (毎日ムック)

新世紀エンタメ白書 2008 (毎日ムック)

*1:

信じぬ者は救われる

信じぬ者は救われる

*2:こんなにはっきりと業界の序列を妄想出来る背景にあるのは宇野氏の序列関係に対するビンカンさだと思います、まとめ記事の記述を読んでいて彼の学生時代の経験やネットでの履歴ライターとしての経歴の中で常に自分がどの位置にいるのかを意識しながら振舞う傾向が生まれたのではないかと感じました