え、え、えく(以下略)

今日朝の「大進撃放送BONZO!」録画できてねぇー!!
(終)

ヨイコノミライ

(ネタバレ含みますよ?)
真・業魔殿書庫さんの企画「オタク漫画紹介録」に参加しようと思い、過去読み通せずに挫折した以下のマンガに再度挑戦だ!

ヨイコノミライ完全版 1 (IKKI COMICS)

ヨイコノミライ完全版 1 (IKKI COMICS)

ヨイコノミライ完全版 2 (IKKI COMICS)

ヨイコノミライ完全版 2 (IKKI COMICS)

うぎゃー!
だめだー!


無理でした。

やっぱり、痛くて、痛くて、読み進められねー!
以前、無限のリヴァイアスの視聴を途中で放り投げた時の事が思い出されます。

3巻目以降は、ごめん、なんだか怖くて読めないよ!

そんな感じで参加してよいのか分かりませんが。だから、以下は二巻までの感想です。

ところで、この漫画は、オタク漫画である以上に、痛い人間大集合エクスプロテーション漫画だよね!

登場キャラクターの痛さがココロに、身に、しみて読後になんだかスゴイモノを見た!という感じがするのです、
そこが、この漫画を非常に面白いと感じる原因だと思います。
(追記)そして、読者は、この漫画を見て自分に共通するものを見つけ「これは俺(私、僕)自身の戯画化だ!!」とは思いながらも、「ここまで痛い人物にはなりたくない」「俺(私、僕)はここまで酷くない(安心)」と思うことでしょう。感情移入させつつ痛さを強調することでキャラクターと読者の間に溝を作る描写になっていると思うので、そういう意味でもエクスプロテーション漫画という言い方をしたくなります。

実在のオタクの痛さを描くためにキャラクターがいるのではなく、
痛くてたまらないキャラクターを複数登場させる舞台として作中の漫研を設定したかのような気がします。

痛いキャラ造形を楽しみたい人にはお勧めかも知れない。
もちろん、自分はここまで痛い人物ではないと安心したい人にも(そんな安心に意味があるのかどうかわからないが)。

でも、この作品は、自分の痛さを強く再認識させるので、嫌!
俺、マンガは現実逃避のために読んでますから!だから今は3巻以降読む勇気がないです。

自意識無間地獄。

【 面:5 オタ:1 パロ:1 共:1 痛:5 萌:1 燃:1 】


なお、井之上くんは、

「僕、今はこうでも元は体育会系なんで考えるより先に動いちゃうんです」

と言った後、杏さんに路上で破廉恥な行為に及びますが(第二巻p20)、

①それは井之上が体育会系だからではない、体育会系に謝れ!
②一度体育会系に染まった者は一生体育会系なのだ、作者は体育会系の危険性を良く表現した!
③井之上は悪くない、誘惑した杏が悪いのである、やっぱり女は怖い!


続きはココロの力が溜まったときに再度チャレンジします。


(追記)
流石に途中までしか読まないでレビューするのは不味いよなー。というわけで、つづき。

基本的な感想は、2巻まで読んだ時と変わりません。生徒間の話だけで先生の影があまり出てこないのはわざとなんでしょうね、クラブ活動内での閉塞した人間関係を強調するためだろうかと。

ところで、リアルに平松さんがいたら、このクラブ、きっと廃部ですよ!

ただ、終盤の萌絵さんに不覚にもぐっとくるものがあったので、点数は以下のように変更いたします。

【 面:5 オタ:1 パロ:1 共:1 痛:5 萌:3 燃:1 】

あと、人間関係が壊れた果てにあるのが、①苦労して作った同人誌の頒布数がゼロだった。②漫画研究会が崩壊。という顛末は、予想通り過ぎて、ちょっと意外性がありませんでしたが、この漫画の魅力は”ダメキャラクター大集合”による痛さの描写にあると思いますので、結末は個人的にはどんなものでも良かったのではないかと思います。

ヨイコノミライ完全版 4 (IKKI COMICS)

ヨイコノミライ完全版 4 (IKKI COMICS)


さて、第4巻の「あとがき」でサトウナンキ氏はおっしゃいます。*1
以下「あとがき」を引用しながら感想をだらだらと述べていきます。


本当にだらだらしながら。

有得ない特殊な話と思われた方もおられるでしょうが、扱った行動様式は、名前が付けられているような、わりとよく知られているものだったりします。


まず、キャラクターの行動様式が現実に有得るものだとしても、これだけ痛いキャラクターの人物が一堂に会する舞台設定には人工的な匂いがします。
この漫画にリアルさを求めていた読者がどれだけいるのか分かりませんが、個人的にはリアルさが実はあまり感じられなかったのです。原因はそこにあった気がします。
でも、自分がこの作品から感じた痛さも、そうした舞台設定があったからこそ強く感じられた部分もあったわけで、作者の狙い通りになってしまったのかもしれません、畜生!


それにしても、こんな人物構成のクラブなら杏さんが関わらなくても自壊していたような気がしますよね!

ルポ漫画ではないので、戯画化したり、物語としての面白味を重視していますが、揶揄したり、興味本位で扱ったわけではありません。


痛い人物同士が絡み合うことで、主要登場人物が例外なく痛いキャラである結果としてリアルさよりも、エクスプロテーション的な印象が強くなった気がします。

なお、自分の読み方としては最初は完全に痛いオタク像を自分の痛い部分に照らし合わせながら読んでいたのですが、あまりの痛さに途中で読み方をシフトしていつの間にか登場キャラをいじる方向で読んでいました(井之上のクラブ運営方法はここが間違っているんじゃないだろうかとか)。多分、自分の自意識過剰を過度に認識するのを恐れて防衛意識が働いたのだと思うのですが、むしろ興味本位・揶揄の方向で描かれていれば、笑い飛ばす読み方にシフトしていたでしょう。


じゃあ、興味本位でも揶揄でもなければ、一体何を描きたかったんだろう?

TVのワイドショーなどで放送された”オタクという変な生き物がいるよ!”という取り上げ方と違うのは、作者が一応オタク側の視点から描こうとしている点なのでしょうか。

オタク文化が好きだからこそ、暗い部分もなかったことにしたくありませんでした。


繰り返しになりますが、登場人物の痛さがオタク文化独特のものかと言われると、違うのではないかと思います。

ただ、そこは置いておくとして、作者が主観的にはオタク内部からその暗い部分を描こうとしていた事は推測出来ます。漫画を読めばそれなりに作者の本気さも感じられますしね?

オタクはもう一度この漫画を通して客観的な視点から内省の機会を持つことも出来るかもしれません……。


まあ、そういう読み方も出来るんですけど、10年経って読み返すとどういう事になるのかと予想してみると、意外と笑える作品になっている可能性が高い気もするんですよね。ある意味現時点のオタクの暗さをまっとうに描こうとした為の宿命みたいなもので。

例えば、終盤での杏さんの天原くんへの批判シーンは、今読んでも、作者の意図した方向とは別に、かなり笑えるシーンだと思うのです。というのも青木さんの批判内容は、現時点ですら、あまりに正論過ぎますし、かつ真剣すぎるから。唐突な反論開始と即売会会場内というシチュエーションも考えれば、もっとヘンさが増すような気がします。
あと、”盗作”について議論するシーンなど、ミライ世界では、”盗作”という言葉が違う意味で議論されいて、ニュアンスが伝わらない可能性もあるかもしれませんね。


80年代〜90年代頃の今で言うオタクネタの漫画を今の目で読めば、昔ってこんなだったんだという違和感と価値観のずれによる笑いを感じる事もありますし、この漫画もそういう運命になるのかなぁ、
と少しヨイコノミライのミライを考えてみました。



……あれ? ヨイコノミライと未来の話で、うまく落ちると思ったのに。



最後に、この漫画の俺的萌えポイント。

萌絵ちゃん、いいですよね?

多分、彼女にするなら、こういう性格の女の子が一番です、きっと!
だから、この漫画の最大の勝ち組は、青木和馬(弟)くんですヨ。

*1:ところで、「あとがき」で、きづきあきら氏の共同執筆者であるサトウナンキ氏(単行本にはクレジットがないのに)が何の説明もなく突然現われるのですが、ヨイコノミライで初めて作者の本を読んだ人には、お前何モンだよ?(笑)という??が浮かぶのでは