ノーベル物理学賞で浮かれすぎでは?

単純な朝日新聞たたきをするつもりは無いが、昨日聞いたノーベル賞の件で、読売、日経、朝日の社説を読み比べ。

上記三紙ともに、昨日発表されたノーベル賞に関しそれぞれ社説でお祝い(?)述べている。

ノーベル物理学賞を日本人である南部陽一郎小林誠益川敏英の3氏が受賞したということで、金融不安など暗いニュースのなかで、久々の日本への朗報ということである。

(個人的には海外で研究している受賞者に日本人がという意識があるのか、そもそもこうした基礎研究を行っている物理学者に国籍という意識があるのかどうか気になるのです、こうした研究における国際連携って思想や宗教すら超えるものではないかという印象があるのですが、それは置いといて)

その中で朝日新聞の社説が浮かれすぎ。
かつ、よんでも何を言いたいのか分からない。おそらく祝辞っぽい事を書こうとして慌てて書いているのだろう、そう思われるものだった。

ネット上の、「あらたにす」http://allatanys.jp/によれば、ぎりぎりまで紙面づくりに取り掛かれなかったということで、

作りかけていた紙面を白紙に戻し、1、2、3面のほぼすべてと社会面見開きで、詳報しました。素粒子理論の研究は「紙と鉛筆があればできる」そうですが、宇宙の成り立ちや物質の根源に迫る天才科学者の業績を、分量に限りのある記事でやさしく説明するのは大変でした。さて、どこまでわかりやすくなったでしょうか?

ということで、現場の混乱ぶりを想像して楽しむことも出来るのだが、それにしても他紙の社説がそれなりにまとまっている分、朝日の粗が目立ってしまう。

読売は過去の受賞者から今回の受賞者へと続く物理学の継承を称えながらも、理系離れという問題点への警鐘を結びとしていて論旨が一貫している。
また日経もノーベル賞受賞の経緯から日本物理学の世界への貢献という結論でそつなくまとめている。

それに比べて、朝日の社説は、何が言いたいのか本当に分からないことに読んでいて驚いた。

ノーベル賞―紙と鉛筆、一挙に花開く

という社説のタイトルだが、じゃあ彼らの研究はノーベル賞を受賞しなければ、「花開く」ことはなかったのか?
この社説の書き手は、今まで彼らの研究の一端にも関心がなかったように思われる。

今回、基礎の基礎といえる科学に一挙に賞が贈られることを喜びたい。

いや、あなたが喜んでいるのは、日本人がノーベル賞を受賞したことなのでは?
おそらく、この書き手は普段、科学について何も考えていないのだろうと思われる。

以下引用を交えながら感想を書いていく。

南部さんの受賞研究は「対称性の自発的破れ」をめぐる理論だ。この奇妙な言葉は何を意味するのか。
よく使われるたとえ話がある。
円いテーブルにナプキンが並んでいたとする。右に置かれたのをとるか、それとも左か。迷っているうちに誰かが右を選べば、みんな右をとる。
対称とはどの向きも同等ということだが、それがふとしたことで壊れ、そこに一つの向きが現れる。物質世界に広くみられる現象だ。

たとえ話と説明の関係が分かりづらい。少なくとも社説だけ読んでも理解出来るのだろうか。
ナプキンのたとえ話があるという事実だけはわかるのだが。
これは私の頭が悪いだけなのかもしれない。しかし、書き手も自分と同じくらいの頭の出来ではないか、たとえ話を理解して書いているのか想像が膨らむ。

そして、

小林さんと益川さんの研究は宇宙の対称性の破れに迫るもので、SFの香りがする。

SFってサイエンスフィクションの事だろうか。つまり今回の受賞者の理論は作り話だと言いたいのか。
おそらく、

どちらも日々の暮らしには縁遠い。だが、人々の世界観を豊かにする。知的好奇心に根ざす純粋科学である。


と、純粋科学の非日常性をSFに喩えているのだろう。
しかし、こういった自分に馴染みがない科学理論をSFにしか喩えられないのは表現力と想像力の欠如なのではないかと思う。

更に、純粋な科学への好奇心を満たす事、あるいは基礎研究の大切さを称える方向に議論が進むのかと思ったら、

こうした純粋科学も長い歳月を経て人々の生活を一変させることがある。たとえば1920年代に築かれた量子力学半導体物理の礎となり、20世紀末にIT社会を花開かせた。純粋科学は未来社会に可能性を与えるのである。

つまり、純粋な科学理論も将来は有用な応用が期待されるから、もっと振興せよという主張なのか。

いずれも巨大加速器による実験で、費用面でも技術面でも一朝一夕には実現できない。

とは書かれているが、そうした事実を指摘しているが、受賞までの困難さを読み取れる程度で、そうした費用をどうすればいいのかといった主張は読み取れない。


南部さんはアイデアを畑違いの分野から得た。いま応用面でも注目されている超伝導の理論を素粒子論に生かしたのである。専門のタコつぼに陥らなかったことが成果に結びついた。

と、受賞者への賞賛としては確かにいい話であるが、そこからの結論が、

科学には視野の広さと息の長さが欠かせない。


そんな当然の事を、社説を使って書いてどうしたいのか。

この社説をまとめると、
・純粋科学は世界観を豊かにする。
・純粋科学も将来実用的な技術として応用される可能性がある。
・専門タコつぼ化するな。
・純粋科学の成果を出すには一朝一夕では無理。
と、いったい何が主要な主張なのか。論点が拡散していて、全体としての主張が不明なままである。
既存の言説を継ぎ接ぎで書き足しているような印象しか受けないのである。
そして、他紙にあるような他の研究者へのまなざしは無い。
受賞した三人以外にも多くの貢献者がいるはずである。
ノーベル賞の受賞が、成果なのではないはずである。

書き手の立ち位置も、喜んでいるのが、日本人が物理学で受賞したことなのか、科学の発展の成果なのか。
もちろん、大切なのは両方である。この社説のように受賞に浮かれているだけではだめで、
今の日本の科学技術の継承に関する問題意識であるとか、全体的な視点が欠けては意味が無い。

受賞を浮かれてお祝いするだけの社説でよかったのか。なんとも、しょぼーん。