牝豚とフニャチン(フラワー・オブ・ライフ 2、よしながふみ)

◆牝豚とフニャチン
2005-10-18 の日記でフラワー・オブ・ライフ読むと宣言してから、はや3年。今更ですが、フラワー・オブ・ライフ、この作品のテーマだとかキャラクターへの想いとか、そういうものとは全く別に気になったのが、非情に細かい点ですけど。

フラワー・オブ・ライフ (2) (Wings comics)

フラワー・オブ・ライフ (2) (Wings comics)

第二巻#8の真島の台詞「この牝豚!!」
確かに一度生身に女性に言ってみたいと思っている男性は、多いのかもしれない。
女性一般にではなく、武田さんにであれば、俺も言ってみたいかもしれない。

この台詞を受けて少々興奮気味に劇を見る観客の様子が描写されている。

「言ってみて・・・」
「男の夢じゃー!!」

そして、この台詞を不本意ながら言われるはめになった武田さんが、劇の最後の公演で切れ気味に言う台詞が、

「このふにゃチン野郎がああ!!」

である。先ほどまで牝豚という言葉に反応していた観客までが、この武田さんの台詞に、

「これはこれで男の夢じゃー!!」
「あねごついていきますうー」

と萌え興奮して叫び、このエピソードのオチとなっている。

しかし、これを読んで、私は、よしながふみが、根本的なところで、男性の性というものを理解していないのではないか? という疑いを持たざるをえなかったのである。

一体、どのような男性が、ふにゃチンといわれて悦ぶのであろうか?
いや、確かに一部にはそういった男性もいるであろうが例外に過ぎない。
それに、”牝豚”という言葉に興奮していた男性であれば、なおさら、”ふにゃチン”という言葉に反応しないのではないか、という気がしたならないのである。

よしながは、多分、それまで牝豚という女性蔑視的な台詞に興奮していた男性の観客が、”ふにゃチン”という男性を貶す言葉に興奮してしまい、強気な女性に罵倒されてある意味マゾヒスティックな快感を感じてしまうという逆転をギャグとして使ったのだと思う。
それはそれで、面白い。

牝豚とふにゃチンは、共に相手を貶める言葉である。
しかし、牝豚とふにゃチンには、大きな違いがある。

牝豚という言葉は、女性の女性部分を、貶す言葉である。ふにゃチンは男性性を否定する言葉である。


牝豚という言葉が、何故女性を貶める言葉であるか。牝豚は、動物のメスブタについて言えばセックスで絶頂に達した際の持続時間が長いことで知られている。一説には30分以上も絶頂が持続するのだという。そのため女性に牝豚と言った場合は、性に貪欲、淫乱といったイメージを伴うことになる。人間の場合も、女性の方が、性器の快楽をつかさどる神経が多いこともあり、男性の三倍近い快楽を得ているという。
よって、女性に牝豚と言った場合は、その女性としての性のあり方について、欲望の強さを過剰に表現することで、軽蔑する言葉となるのである。
女性の性のあり方を歪な形で強調していることになる。
男性が、何故女性に牝豚と言って興奮するかといえば、言葉を投げかけられた女性の性を肥大化させるからである。
そこでは、歪曲され過剰になった女性の性を認識して興奮する男性の性の形がある。
裏返せば、そこには、女性を性的に見る男性の性のあり方があると思う。男性が淫乱な女性を好むとすれば、それは女性が性的に興奮するのを見て、自分自身も興奮する男性の性のあり方を過剰にあらわしているからである。

しかし、一方のふにゃチンは、男性の性を真っ向から否定する言葉である。ふにゃチンとは、男性器が本来は性的に興奮して屹立すべき時にも勃起せずにいる様を蔑称として使うものである。
立たない。男性としては、性的な意味で男性ではないと否定される言葉である。性的な興奮とは全く逆方向ではないか。

そもそも、女性に牝豚という言葉が投げかけられるのを見て男性が興奮するのは、男性として自分の性を認識するが故に興奮するのである。逆に、ふにゃチンという言葉は、そうした男性としての自分の性のあり方を否定されることである。こうした言葉を女性に投げかけられても、興奮にはつながらない。それは男性が女性に対して、「おしとやか」だとか、「貞淑」だという言葉を用いて女性を罵倒しようというのと同じである。

むしろ、ふにゃチンは、男性が男性を罵倒する際に相応しい言葉である。

性的な興奮を伴うためには、女性が投げかける言葉が、男性の性のあり方を否定しないモノであることが条件ではないか。

女性に罵倒されて、興奮する男性はいるだろう。

しかし、例えば、SMプレイなどでM男性が女王様に投げかけられる言葉は、男性の性的なあり方を否定するものではなくて、屈辱的な状況の中で、通俗的な意味での”男性性”を否定される状況にありながら、なお、或いは、それ故に興奮する男性の性をあざ笑う言葉によってではないか。

決して、男性の性を否定する言葉によってではないはずである。

このように考えると、よしながふみは、男性の性のあり方を、何か妙な方向で理解しているように思われてならない。

作品の完成度やキャラの魅力とは関係ないが、上記がこの作品を読んで思ったことの一つである。

(追記)
読んでいて感じたことを思い出しながら書いた。個人的には備忘的メモ。なんか、誤解されそうな表現もあるが、読書中の感想としては、こんな感じである。書いてしまった後で直していないが、確かに、この展開と台詞だけで、よしながふみの男性理解云々は言いすぎだと自分でも思う、読み返してみると。
あと気になるのは、マゾヒスティックな男性の心情を自分が理解しているのか?という部分で、これは、そういった男性の意見を聞きたいところである。