アッコちゃん無限地獄


Yes! プリキュア5の5人の夢とか悩みを比較すると、実はうららが一番大人向けというか、職業婦人の子育ての悩みというか仕事と子育ての両立に悩む主婦の共感を得られているのではないか?と勝手に想像してみる。

(各キャラの適当な悩みや夢の概要)
夢原のぞみキュアドリーム): 夢が見つからない(あるいは何人でもなれる)こと、ココとナッツのパルミエ王国の復興。個人が夢見るにはスケールの大きな夢。個人で一国〜世界をどうこう出来ると考えるのは、子供の全能感を表したキャラクター。幼児が共感しやすい?
夏木りんキュアルージュ): 部活動だとか幼なじみとの関係で悩む、小学生〜中学生的な悩みか?
春日野うららキュアレモネード): 人間関係やプリキュアと芸能活動の両立に悩む、実は仕事を持つ主婦の悩みに近い?
秋元こまちキュアミント): 人間関係や将来の職業選択について悩む、中高生的な悩みか?
水無月かれんキュアアクア):生徒会で学園と生徒の板ばさみ、あと自分の性格や境遇で悩む、自分の所属している団体の利益調整など中高生の悩み?

一応、5人で大体の十代の悩みや夢をカヴァーしているように思えますけど、人間関係の悩みは色んな形があっても全世代的な悩みですので誰もが共感できるのでしょうね。
で、春日野うららは芸能人を兼ねているという特殊な立場ですが、これを子供と見ているお母さんの中には、どちらもおろそかに出来ない複数の役割を果たすことに悩むうららの姿に、子育てと職業を両立させている自分の姿を重ねて感情移入している人もいるのでは?と思ってしまいます。実はうららは、高年齢の視聴者に一番共感されやすいのではないかと。

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何となく「ひみつのアッコちゃん」(アニメ版)を観ています。とはいえ、現在近所のレンタル屋で借りて見れる、ひみつのアッコちゃんのビデオ分だけで10時間分くらい見ただけですけど。それにしても、キャラクターの行動が恐ろしいのです、たまたま観たエピソードが酷いのかも知れませんが、フランス人に変身して結婚を匂わせながらモコちゃんの心を散々弄んだまま電車で逃げるアッコちゃんだとか、逆恨みでモコちゃんの飼い犬を散々虐待するアッコちゃんと更に仲間のネコと徒党を組んでその犬を襲うシッポナであるとか、治療の為に東京にやって来た目の見えない小鹿をネコの大群と共に理由もなく襲う少将、等等キャラクターの不条理で暴力的な行動に戦々恐々とします。アニメを観ていて気になるのは、どうでもいいのですけど、アッコちゃんの髪型って、どうやって整えているのでしょうか?エンディングの納豆売りが団地の近くで納豆と叫んでいるシチュエーションは、関西人には理解出来ないと思うのですが東京ではありふれた日常だったのでしょうか?まあ落語ネタも関西では理解出来ない部分もあるのですけど。24話で、貯金金額が一万円(当時の価値だから10万相当?)に達してケチな守銭奴扱いされたアッコが,大将にそれを指摘されて怒るというエピソードなど、どうしてお金を貯める事が悪いのか理解に苦しむ関西人もいたのでは。そもそも、金離れの良さを見せ付けようと銀座へ向かい浪費を試みるなんて。東京的なドメスティックな話だと思いませんか?
関係ないですが、80年代に堀江美都子さんが声をあてたアニメ版2回目では確か番組途中で魔法のコンパクトが交代してしまいます。確か2回目のアニメの商品は大売れしたらしいのですけど。それで、当時これを「商業主義に侵されたアニメ番組が嘆かわしい」という論調で非難していた人がいました。ただ、結局玩具が売れないと番組も終わってしまうのだから、日本アニメの資金回収を考えると単純に商業主義を排してしまえと言うのは、どうなんだろうとも思うのですが、今のようにメディアミックスしてコミックスやゲーム、DVDまで売ってトントンの番組に比べてみると、パッケージとして全て同方向でコントロールされている番組よりは、玩具だけで資金回収出来た番組の方がもしかすると玩具さえ登場させればアトは自由だったのかもしれないなと。思いつきですが。まあ、ママレード・ボーイ花より男子のアニメ版の路線のような作品ではスポンサープロダクツを劇中に登場させるタイミングがあまりに強引である意味ギャグになってしまう事もありますけど。銀太の告白シーン(銀太の差し出した伝言ロボット風玩具から主人公への告白の言葉が流れ・・・)は何度見ても笑えます。