「萌えとかその手の事を書いているので若い人だと思ったら意外と年嵩の方だったりする」

今日はデスノートの最終回について書こうと思っていたのですが、変更して別のことを書きます。
あるライターさん(ということにしておきます、名前を出してよいのか分からないので)が、そう話しているのを聞いたことがあります、実際に自分も、そういう事をいう人が実は自分よりも年上の方だったりしたことを、何度か経験したことがあるのですけど、何故だろうと軽く考えてみるに、萌という概念が気付いたら存在した比較的若い人達はあえて萌えについて論考する事は少ないのかもしれず感情を表すのに自然に「萌え」と言ってしまえるのに対し、自分をオタクだと長年認識している人が最近になって萌という概念に出会ったら、「成る程、萌えとはコレコレこういう考え感じ方なのだな」「ということは、この作品のこのキャラのこの仕草や行動は萌えを念頭において表現されているのだろうか」「このアニメの感想を書くには萌えという言葉をこう入れればしっくりくるのではないか」など、萌えという概念を抽象的に把握した上で具体的な論述に生かそうと考える人が多いんではないかと思うのです、ほら、オタクって元々設定いじるのは好きではないですか、製作背景や作品世界の設定に則って色々思考しているウチに、更に色んな薀蓄や周辺知識を加えていると、関して語る文章が出来てしまう(実際はそう簡単なわけでもないだろうけど)訳ではないかと思います、萌えに関してもまるで作品に新設定(年齢層の比較的高いオタクの人にとっては、萌えは新たに導入された新設定とも見えるのではないか)が導入されたかのように、オタク界(?)に萌えという設定を導入した結果どうなった、どうなるのか?と考えてしまう人は、意外と高い世代のオタク層なのではないかと、思うのです、そんで、その結果として、萌えという概念を論述している文章を見かけたら実は意外と年上の人が書いていたという結果が起こるのではないか?と日曜の夕方になろうとしている時間にちょっとだけ考えて見ましたが。