寺田寅彦について

昔書いたレポート(歴史上の人物を一枚にまとめる)が出てきた。最近ろくにブログを更新していないので、そのまま書き写してお茶を濁しまーす!

レポート:寺田寅彦

1878年明治11年)〜1935年(昭和10年
・ 物理学者、随筆家、俳人

■物理学者
東京帝国大学物理学教授。理化学研究所地震研究所。熊本第五高等学校在学中、田丸卓郎に物理と数学を学び物理学を志したという。
・ 防災についての研究業績。「天災は忘れたころに来る」は寺田自身の言葉ではないが彼の発言として知られている。今村明恒と共に関東大震災調査を行った。
・ 生活の中の身近なテーマを扱った研究業績がある。例えば、「金平糖の角の発生」では金平糖の角がどのように出来るのか、その条件を研究した。他に「線香花火の研究」「墨流しの研究」などがある。なお「尺八の音響学的研究」という論文で理学博士学位を得た。

■随筆家
夏目漱石門下。熊本第五高等学校在学中に夏目に英語を学び、漱石の影響で俳句を始め、上京後、正岡子規を訪ねる。木曜会に参加し多くの知古を得る。
・ 生前に発表した随筆は約300編で「寺田寅彦随筆集」にまとめられている。
・ 若い頃から病気がちだったという。40歳代前半に病気のため約二年間大学を休職している。

「先生の随筆が次ぎ次ぎと中央公論に出始めたのは、大正九年のことである。後で知ったことであるが、その前年の暮れに、先生は大学の研究室の中で突然吐血された。三年越しの胃潰瘍が遂に破局に近い状態にまで来たのであった。直ちに大学病院に入院し、真鍋氏の診療を受けて、危機は脱しられたのであるが、その後の二ヶ年は、自宅で療養生活を送られた。その静養の間にあって、藪柑子時代以後一時中断していた先生の創作意欲が、急にはけ口をもった清水のように、渾々と流れ出したのであった。」(中谷宇吉郎寺田寅彦追想」)