赤に戻りました。

夏のコミケ91日目。冬コミまで、あと47日。

もう昨日になるのですが11月18日、以下のようなイベントに行って来ました。あれですよ!ロフトプラスワンの壇上で多くの博士(あえて)がILC加速器について!ニュートリノについて!色々とハナスノデスよ!正直、何処まで理解したか分かりませんけど、こういう話は大好きだ。宇宙創成の謎だとか、日常生活からはかけ離れた話題ですが、壇上で話があった通り実は、一番身近な話題でもある訳でス。というのも、この世界がどういう経緯で、どういう仕組みで成り立っているのか、という謎を探るわけですから。浮世離れしているけれども、この世界としっかりと繋がっている話ですよ。あと多田将先生はビックリな人でした、はい。

社会科見学に行こう!
「見学ナイトvol.6 加速器の夜 第四夜」
なかなか見学に行くのが難しいなら、見学先の人を呼んできちゃおうという見学ナイト。
早いもので今回で6回目となります。内容はおなじみの「加速器の夜」。今回はなんとビックリ6時間。昼からやります!先生方はいつもの先生に加えて、東海村のJ-PARCから多田将先生が参加されます。
【司会】小島健一(社会科見学に行こう!主宰)、柴尾英令ゲームクリエーター
【ゲスト】藤本順平(KEK 素粒子原子核研究所)、山下了(東京大学素粒子物理国際研究センター)、大森恒彦(KEK 素粒子原子核研究所)、加藤潔(工学院大学)、多田将(KEK 素粒子原子核研究所)、開田裕治イラストレーター)、開田あや(小説家)、ほか
Open15:00/Start16:00
¥1000(飲食別)
当日券のみ
http://kengaku.org/modules/news/article.php?storyid=60

配られたチラシによれば、と学会のトンデモ本大賞のゲストに、あの活弁士の坂本頼光が出演とのことデスヨ!坂本頼光氏は、すごいですよ!http://blogs.yahoo.co.jp/qfdsj940

関係ないですが、凄く久しぶりに見たら、井上よしひさhttp://ponyfam.blog28.fc2.com/は、骨折http://ponyfam.blog28.fc2.com/blog-entry-84.html
から回復したようで、本当に良かった!・・・まあ2ヶ月経っていますし。ファンとか言ってたくせに、3ヶ月近くブログみてませんでした。

そして、昨日のイベント「触手ナイト」で

この本は紹介仕切れなかったのですが、個人的には、
「そこにここにラブ。」(由河朝巳
という先輩(触手)と後輩(猫耳少女)のエロコメが面白かったので、紹介したかったです。
本編は本はまだ売っているはずなので、実際に読んでもらうとして、ほんわかした雰囲気が結構良かった。
触手モノだと、どうしても陵辱モノが多いのかなぁーと思ってましたが、こういう「ちゃんと責任取ってくれるならゆるしちゃいます」的な触手モノもアリなのですね。自分の今までの触手モノにたいする偏見が少しだけ取り払われたかもですよ?


そして触手つながりで、

を読む。



・・・えっ?なにが触手ツナガリなのかって?
一々説明するのは面倒なので、今回は 本田透は、ドカベンと触手好きらしい」 という不確定情報だけとりあえず信じてみましょう。でも容易に信じると、あなたのリテラシーが問われますよ?
さて、

喪男の哲学史 (現代新書ピース)

喪男の哲学史 (現代新書ピース)

でもみられましたが、
文中の用語の定義もハッキリしないまま、また日本の現在にあてはまるかどうか検証しないまま海外文献を引用しつつも、勢い過剰に書き進めて読ませていく本田透節が!この本でも炸裂ですよ!(一応誉めてますよ?)ホント、この疾走感は、素晴しい。

この本に限らず、学歴の価値の低下については、同じ新書シリーズでは、

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

なんかが、読んでいて陰惨な気持ちになるほど、大学院という学歴の価値の低下が述べられています(かなり上記二冊の学歴の意味は違うんですけどね)。


さて、一章を読むと、いきなり、
「学校は教会だ」と、日本に西欧の教会に当たるものがあったのかどうか検証もしないまま、学校学歴信仰が宗教的なものだと断言して論が進められます!え!?学校って宗教だったの?びっくりだ!驚きだ!
・・・でも。
そもそも、日本に教会にあたるモノってあったんでしょうか?日本人の宗教観も”教会”のそれとずれはないか?
それに、学校に行かないと批難される原因を”世間”の同調圧力だとか、日本人なら誰でも思いつきそうなものに求めないで、ワザワザ学校=教会説で説明するのは、単にイリイチを引用・敷衍するためだとしか思えないのですが?実際どうなんでしょうか?引用する以上、具体的にイリイチの説の何処が現在の日本に当てはまるのか解説してください、透さん(はぁと)。もしかすると、紙面が足りなかったのかなぁ?

あと、明治以降の学校制度の成り立ちについてばかり解説していますが、日本で何故学歴信仰が生まれたかの説明には、それだけでは、なっていないわけですよ。
実際に近代の日本では、知識が権力に直結するという意味での、学歴=エリートコースへの道だった時代もあったし、経済的な格差もあったわけで*1、そうした傾向は昭和30年代くらいまでは確実にあったはずでは。かつては現世利益だった学歴が、どう信仰となっていくのかの過程が説明されていないです。
大学教育の意義などは昭和20年の敗戦による体制の転換だけで説明出来ないと思います。
たぶん。
昭和30年後半以降進んだ大学の大衆化による価値の低下など、色んな原因があったはずでは?昭和40年前後全共闘で「大学解体」が叫ばれ始めたわけですが、この当時には解体を叫んだ学生達は戦前のような意味では既に大學出=エリートではなくなった為にそう叫ばざるを得なかったわけで、もう既に、学歴信仰は主観的には当時の大学生からは消えつつあったと思います。
むしろ、それでも今以上に大卒と高卒の間には給与格差などあったはずでした。多分バブルが弾ける前の昭和60年代くらいまでは、経済的な理由などで進学できなかった当時の親世代により「大學は出ておけ」という”実感”に基づく”学歴信仰”も大きかったのではないかと。

あと規制緩和についての説明も多く為されているが、法的な規制が緩和されるのと、”世間”で自由な生き方を認めるようになるのには、相関関係はあるんだろうか?と疑問をメモ。

あと、そもそもこの本では学歴の定義だとか”学校”という場合の学校とは何をさすのか説明が不足していませんかね?
一体、行かなくてよいという”学校”とは、文脈から小中高なのだとは思うのですが「いい学校を出ていい会社へ」という場合の学校は専門学校や大学を含める場合が多いので、定義がはっきりしないと、混乱します。学校をドロップアウトした場合の”救済手段”の例に大検って、それって学歴必要なのか必要でないのか。

どっちなんだー???

理解力がない俺は訳がわからんですよ。多様性を重視しているにしては、学歴を捨ててからのサンプルが乏しいのでは?という思いが浮かびます。

それに実は”学歴”という言葉には、本来の意味通り、何処まで進学したかという意味の他に、どの程度の偏差値の学校に入ったか、という意味があって、未だに場所によっては日本には学閥だとかがあったりして、問題をややこしくしているわけですけど、確かメカビだったかで本田透氏自身が述べているように、早稲田大学に入学したら親戚の態度が良いほうに変わったというが、そのように、未だ大學のブランド力は無くなってない部分もあるわけですよね。この本は、結局、世間的な評価では、高校中退しても、それなりの大學に入ればOKという結論を著者の体験を元に述べた、ということでもよいのでは?

細かい疑問だけれど、
古代ローマの奴隷は数十年の兵役をつとめると市民権を得られた・・・・えっ?そうだっけ?兵役は市民の義務だし、古代ローマって奴隷は自由を金で買ったり一定期間の奉仕が終わったら解放されるんじゃなかったのかなぁ、曖昧な記憶なので、後で調べる>俺。

・明治政府は国民学校儒教による道徳教育を始めた・・・・ここは疑問というより興味沸いた部分なのだけれど、幕藩体制も江戸時代中期以降には政治の面では幕府と藩で連絡が密になってきたような話を聞いたことがあって(不正確ですいません)、また出島だとか、江戸時代後半の諸外国との接触など庶民レベルではどうかわかりませんが日本という意識は尊皇攘夷でなくても江戸時代から実感として感じられる部分もあったのでは?と漠然とした感じをもっていたので。
また立身出世ではなくとも、江戸時代の寺子屋で使われた「百性往来」や「商売往来」などには、心得というかそれぞれの分に応じた道徳的な記述部分もあったし、一部変更されながらも明治まで使われたそうだし、徳川吉宗寺子屋を保護奨励したそうですが彼が享保年間に教科書として市中の「六諭衍義」なんかは修身の教科書ですし吉宗の統治思想にあったものだから採用されたはずで、江戸時代には教育による統治は既に実行されていたのだろうと思っていたのです。このあたりの経緯は、どうなっているんでしょうかねえ?*2あと、この本では、実は学校というのは最近出来たものという事を強調したいから触れられていないnだと思うんですが、明治期以降の産業発展に江戸時代までの教育の蓄積が与えた影響も当然あると思うので、ここも機会があれば調べたい。

ちょっと、説明に物足りない部分や、疑問点も多いのですが”結論”には同意できるかも。

あと、堀田純司氏の文章と本田氏の文章の”違い”が共著だけに際立っています。堀田氏の方がデータの使い方や引用の仕方が上手く、こうした著作でのライターとしては、明らかに堀田氏の方が文章が上手ですが、上に書いた通り”無茶苦茶な勢いで一気に読ませる”という意味では、本田氏の文章はデタラメでも面白く感じます。(何度も言いますが、一応、ほめてるんですヨ?)著者本人の主観は知りませんが、本田史観を構成する勢いは凄いです。
ダブルH田(今思いついた)二人の文章の読み比べも面白いかも?

少なくとも、メカビ2号の二人の対談と合わせて、この本は男泣きですよ。


あと何故あとがきが白石さん?と思ったら、堀田氏は「生協の白石さん」の担当編集者だったんですね。

脈絡無く、終わる。

*1:例えば身も蓋もない例だが、戦前は一時期までは帝大/早稲田慶応/その他で採用以降の給料に差を普通に設けている会社が多かったり

*2:追記:こういう講演録を見つけました「江戸の文化と教育」講師:東京学芸大学人文学科歴史学研究室 大石学 教授http://library.u-gakugei.ac.jp/lbhome/tenjikai/koenkai_H15.html