漫画の対象読者の違いを

コミケまで一週間切ってしまいました!

新吼えろペン 9 (サンデーGXコミックス)

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昨日の続きですが、虎琴ぴしゃりという漫画家との議論が第32話にありますが、彼女の主張は実際にマンガで確認して欲しいのですけど、要するに、
・広く読者に受け入れられるためにはハードルを低くするべきだ。
炎尾燃のマンガは高みを狙いすぎて受け入れられない
ということだと理解しています。
実際そのお通りだと思うのですが、一方で間違っているとも思います。


これは、炎尾燃/虎琴ぴしゃりの二人の対象読者の違いを表しているだけですよね?
ぴしゃりがどういう読者を狙っているのか独白するだけで、別に炎尾燃にそんな動揺を与える言葉なのか?と。


どういう事かと言うと、既に色んな方が仰っているのですが、漫画読者の二極化が進行しているのではないかという仮説です。90年代には既に誰かが言っていた(誰かは忘れたのですが)様に、少なくとも80年代前半までは、人気漫画とは漫画のマニアも一般のライトな漫画ファンも両方読んでいたハズなのだが、90年代後半の時点ではマニア層とライト一般読者層の読む漫画は分離してしまっているのだ、ということです。
炎尾燃がマニア向け/虎琴ぴしゃりが一般層向け
という風に単純に考えて良いのか第32話だけでは断言する自信がないのですけど、炎尾燃のサインを貰いにやって来るファン(そろいも揃っていい女ばかりだし!)は10万円出しても惜しくない人たちなんでしょうから、かなりのマニアなんだろうと推測出来ます。結局、炎尾燃は、自覚的に漫画を読んでいる層をターゲットにしています、という話で終わりなんだろう、と思ってしまうのです。マニアというと誤解があるかもしれないので、作中の表現を借りて言えば、ハードルの高い漫画を描くことで、それを受け入れて高い山に一緒に登ってくれるコアな人が(余程迷走したり堕落すれば別ですが)長く買い支えてくれるという戦略(あるいはそういう漫画を描かざるを得ない・描いてしまう描き手)を選ぶのと、広く受け入れらMAXな人気も高いが、でも消費サイクルの中で早く飽きられてしまう可能性がある戦略を選ぶのと、どちらが良いかは、なんとも言えない気がするのですが。

でも、島本氏はそういう事には自覚的で、炎尾燃のキャラクターを理解した上で彼が動揺する様子を描いていると感じられて、このエピソードでは、そういった二極化を戯画化して、オチまで熱くるしく描いており、面白くないわけではないのですけど、逆に予定調和なオチになるんだろうなー、と思ったら、こういうオチか……。
ここで落としてもいいのでは?と思う場面が何個も連続するのです。
少し蛇足感があるエピソードでした。


でも登場する炎尾燃ファンの女性が全員揃って良いよなーと萌えていたら、この回を読み終わっていました。
やっぱり、島本和彦せんせいの描く女性は、素晴らしい!という一点だけでも、読む価値はありますよ?!