反省無間地獄

今日で夏のコミケから26日目ですよ?

                                                                                                                                                  • -

ライトノベルの何かすごいの!
http://tkj.jp/2007_lightnovel/
軽小説(香港ではこう言うらしい)は最近ブックオフでしか買ってないので答えようがない。

                                                                                                                                                  • -

◇僕はお菓子を食べなければいけない

ブログで一番書きやすいのはなにか?それは自分語りだと思う、きっと。
一度、自分語りを、はてなで自覚的にしてみたいと思った。だから今回ははてなダイアリーをネタにした自分語りをしてみる。結果としては、単なるグチになっていそうな気がするが、何も考えないで書き始めてみる。

どうして、ダイアリーを毎日更新しているのだろう、自分は?

さて、ブログというメディアは、開かれたネットという空間に対して自分の意見を発表するものだと思う。でも、そんなにコンスタントに一定のテンションで、皆が注目してくれる意見だとか議論だとかを書けるわけがない。
そうそう、そうだとも。

例えば、自分の独自の意見ということで、そうだな、映画評や書評について思ったことを書くとする、
それっぽいものを書いてみても、何も目新しいものなど、滅多にお目にかかれない。何処かで聞いた評価を自分の言葉だと思い込んで、そのまま書き写す、という作業を書評や映画評というのなら、そんなものは何処ででも目につく。だから、目立たないし、多くの評の中に埋没していってしまう。自分のもそうなのだよ。
その人独自の見方や、他の誰も発見できていない視点を提示することが出来れば、付加価値がつくのだろうが、殆どは感動した、何々っぽい作品だった、だとか如何にも何処にでも溢れた文字列を書き連ねてしまって、読み返した時に、公開することを躊躇う。別にブログに文章を書くことが仕事でも債務でもなく責任が生じている訳でもないのだが、だからこそ自分の書きたいことを書こうとして、結局他人の言葉を借りたものでしかなかった時の口惜しさや、単語として使い古されている〜この瞬間にも同じ言葉を感想として書いている人が何千人もいるだろうという自覚のある〜言葉でしか自分の感想を表現出来ない口惜しさ。これは正確には自分の表現力がないのが口惜しいというより、ネットの海の中で埋没することが予め運命付けられた文章しかアップできない事実が口惜しい。
諸々のニュース等についての意見を書いても、自分の見識の限界を同様に自覚するだけだろう。

誰も読んでくれない、あるいは注目されない、という事が予めわかっている文章をアップすること程むなしいものもないだろう。これが、例えば、このはてなダイアリーを知人にだけ見せることを念頭に使っているのであれば、読んでくれる人が目に浮かぶだけ救われるのだと思う。
例えば、自分の行動記録や知人への連絡事項に類すること等を書き連ねるという日記の使い方。ただ、これはSNSで充分可能な事だから、はてなダイアリーでわざわざすることもないのだと思う。

ところで自分は、正直はてなダイアリーのIDを取得する時には、何も考えていなかったというのが正しい。そもそも読んでくれるとか、読んで欲しいといった事をなにも考えず、その時思ったことや考えたことを覚書程度に掲載できれば良いくらいの気持で始めた。
しかし。
はてなダイアリーには、どのリンク元からやって来たか分かるシステムが実装されている。これを読めば、どこから人がやってくるのか、もう一目で分かるわけだ。このシステムのお陰で理解出来た事は、自分のブログは、一部の例外を除けば、所詮キーワードから飛んでくる人が偶々覗いただけであったということ。
多分、この日記を楽しみにして読んでくれている人はいるとしても数人ではないか。
自分はカウンターを付けるのが怖くなった。カウンターの数だけでブログの評価が決まる訳ではないが、自分のブログが読まれて居ないのを自覚しながら、毎日更新するのは、とても辛いことのように思える、だから、そこは曖昧にしておきたくなった。臆病なのだ、自分は。

それと、コメント欄は常に開放されているにもかかわらず、書き込みは殆どがスパムばかり。
確かに履歴を見ていただければ、半年に何件かのコメントは頂くことが出来るので、その時は珍しいこと故に、小躍りして読んでいます。でも自動でスパムを書き込むことが可能なわけで、一週間に数回はスパムコメントを消し去る作業に幾ばくかの時間を費やされるハメになる。
あとトラックバックも滅多にないわけで。
もうこれは、先ほど書いた通り、このダイアリーにトラックバックで参照しようと思わせる意見や表現がないことに全ては集約されるはず。

ブログを見ている方なら理解してくれるでしょうが、コメントやトラックバックというのは、
「ああこのブログを見て何かしらの反応をしてくれる人がいるんだ!」
という証拠のようなもの。それが滅多にないというのは、ただ文字列がネット空間に浮かんでいるだけで、他との接触がないと言うこと。広い宇宙空間にポツリと漂う惑星でも衛星でもない何かの塊。他の天体と重力で目に見えて引かれあう兆しのない、孤独な天体。あるいは海に流した小瓶に入れた手紙みたいなものです。たまたま拾った〜この場合はキーワードでやって来た人の比喩です〜人のみが読むことの出来るだけ。しかも返事を出す程の手紙ではなかったということで。

あ、今そこで、そんなら、みんなが面白がったり感動したり唸ったりする日記を書けばよいのでは?
と思った方がいらっしゃれば、それは正論です。
確かに、覚書程度の文章では、それが偶々見つけた人の琴線に触れることが何千分の一の確立であったとしても、リピーターとなって次に読みにきたら、何だかつまらないことが書いてあって、もう二度と訪問する気がなくなってしまい・・・。ということは充分考えられる事で。


でもね、それは無理、無理だった。そもそも、面白い事を書いて人に読んでもらおう、なんて事は考えたことは、実は少しだけあったけれども、途中で自分には無理だとわかった。
自分にはね、サービス精神を発揮する文章力も、人が喜ぶ表現力もないのだよ。
それに、無知。ネタがとにかくない!人が、へぇ〜!と驚く知識も披露できない!
さらに、観察力が不足している!驚くべき観察力で、そんな見方があったのか!と感動させることなど夢のなか。
ああ、駄目駄目だ。
じゃあ表現力を磨いたり観察眼を養ったり、すれば良かったのに。してこなかったんだよ、今まで。
でも、自己顕示欲だけは残っているから、何かしら毎日文字列を打ち込んでいました。

こうして今書いたことを読み返せば、我ながら恥ずかしい!面白いことを書けない、でも注目はされたい、って一体何処の「努力はしたくないけど成功だけはしたい」とほざいている世間知らずの若者(に限らないけど)だよ?

少なくとも、「今のままのこのブログでいいよ!」と囁いてくれる人が現れる気配はありません。
変わらないと、駄目なの?このままじゃ、いけないの?うーん、面倒くさいなー。

でも、本当に変わるかどうか別にして、他人に読まれるブログにする方法を自分ながら考えてみる。

そうですね、ここで、反省して、どうすればこのブログがメジャーになれるか。メジャーになれなくても人が定期的に訪問してくれるか。考えて見ました。
ざっと思い浮かぶのは、


・正攻法で、内容を物凄く面白くする
・テーマを決める:特定のテーマを決めて訪問者を絞り込む
・勉強する、頭を良くする。そしてクールさを売りのブログにして
・ブログより自分自身が別の手段で有名になる


まだまだ抽象的だし、しかも思いついたのがこれだけとは、自分はどんだけ駄目なのか?特に最後のは、有名になるために別の努力が必要だろっ?
思い切って、人様に意見を伺うべきなのか?
でも、誰も読んでくれないブログの質問に答えてくれる人はいるのか?
・広く意見を求める←でも誰も読んでいないからコメントなし←結果が得られず変化なし
という無限ループに陥りそうなので、やはり自分で考えるべきだナ。

とりあえず、今日は、上記三つを考えたところで、面倒なのでこれ以上書かず、次の日記あるいは次の次の日記で続きを書いて、引き、にすることにします。

一体誰が興味を持つ引きとも思えないのだが。とりあえず、頭を使ったので(これくらいで!とか言わない)お菓子を食べて糖分補給します。

◆「笑えばいいと思うよ」>綾麗麗への台詞です。わかる人だけわかれ。
ファンタスティック・フォー の二度目のアニメ(ヒューマントーチがロボットになっているアレ)が、はてなキーワードでは無視されていますが、自分も知っているだけ(1エピソード見ただけだし)編集出来るだけの知識がないので、何かもどかしい。他人任せですが、誰か編集しませんか?
テレビは、故障したまま。調子が良くなることはなさそうだ、らき☆すたのあの娘の髪の色も緑のまま。