■ワンダーモモーイ桃井はるこのワンダーモモーイCDですが・・・。
ええ?!CDのデザインした人って、●●●●さん?えー!本当ですか、すごいや、●●●●さん。
■ダイヤモンド・アイ
電車に乗っている時に時間つぶしで、喪男(モダン)の哲学史
- 作者: 本田透
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/12/20
- メディア: 単行本
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そんな感じのヨタ話=喪とモテの概念から哲学史を考える=を300ページもの分量にまとめあげる作者の文章執筆力に敬服します。あと、作者の思考過程が文章にそのまんま表れているために読みやすいと感じらるので、慣れればサクサク読めます。彼の評論系の本は読みやすくて大好きです。それで、この本で作者が言いたいことは、こういうことじゃないかな?と感じた事をまとめると、「もっとオレ(作者)に世間は注目してよ、特にサブカル関連はもっと注目してヨ!萌系ファンはある程度受けをとったけど、オレ本当はサブカル系の人にモテたいんだヨ」「みんな、今度は哲学だよ、凄いでしょ!こんなクールな哲学の本を執筆するオレ(作者)観てよ、ほめてよ、絶賛してよ!ネ?そうすればオレは救われるんだヨ!」だと思えませんか?まあ、萌もオタクもサブカルの一ジャンルといえないこともないのですが、あえて言えば。少なくともそういう読み方も可能でしょうネ。護身の話など女性嫌悪が基本にあるかもしれないとはいえ、実際の作者の「ヒガミ芸」の根底は作者が本当に受けたい層に受けていないというズレだと感じられるのです。が、どうなんでしょうネ?梶原一騎先生が漫画原作者ではなく文筆業で身を立てたかったのに、漫画で大受けしてしまったのを思い出してしまうのですが、比べるのはアレですか?
まずざっくり読んで見ると、これって上記で感じたように、ヨタ話、よく言えば思考実験の書に感じられます。作者のスタンスを例えるなら、そうプロレスですヨ!エンターテイメントです。シュートで哲学を語るのではなく、喪とモテの話+サブカル系知識を交え哲学で読者を楽しませよう!という意欲がプンプン感じられます、こう言うとプロレスファンには怒られそうですが。でも面白かったのだもの。
ただ読んでいて、アレ?と感じる事がたびたびあって、例えば本書の中心概念であるはずの”喪男”、”モテ”などの定義がこの本の説明だけでは不明瞭なんです、そのために登場する哲学者が一体どういう風に喪男と言い得るのか良くわかりませんし、もしや恣意的に喪のレッテル貼りが哲学者に行われているのではないのかと疑念が浮かびませんか。他の皆さんはこの本を読んだだけで”喪男”、”モテ”の内容が分かるものなのでしょうか?あるいは実はオレの読み込みが足りないのですかネ?
あと、モテや喪の定義の不明瞭さを保留しても、作者の主張によれば人が恋愛資本主義の下ではキモいだとか喪だとかが原因で階層化→差別されるということらしいのですけど、きっと作者は階層化による差別には敏感な問題意識を持っているのではなと感じられますが、では身体を様々な形で拘束するはずのモテが生み出す権力の問題は一体どう考えているのでしょうか?萌により自己救済されても、それは階層化から生まれた苦しみが無意味と悟ることにより個人精神が得られる救済でしかなく、実際にモテが産み出してしまい保持する権力の有形力の行使は萌により無くなるのか、又は無力化されるのか?そもそも、モテ以外の要因で生まれる権力も想定できると思うのだが、その権力による喪男への迫害があったとして、それはどう解決するのか。
あと個人の精神と世界の乖離による悩みだけが、本当に苦悩の全てであるのか。日本の喪・モテの話を考えるなら、何故東洋の思想の説明があんまりないのか?もしかして仏陀の解説部分=東洋の全てなのか?
思いつきですが、哲学史ではなく日本文学でも同じコンセプトで本が作れそうですね。あ、あったっけ?
また、
私はメカビ2
- 作者: 本田透,堀田純司,講談社
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/12/22
- メディア: 大型本
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などなど、まだまだ疑問はあるが、今まで読んだ部分で感じた事思ったこととしてをメモしておきます。
もしかして、この本に真剣に疑問を持ったりするのは、プロレスにお前らガチで闘っていないだろ!と言っているような話なのかもしれませんが(こういう事を言うとプロレスファンに怒られます)、そういう意味ではプロレス好きには受ける本かもしれません、ところで、この本を香山リカ絶賛してたってホント?
疑問を書くだけで読了したら、本当にこれらの疑問定立自体も正しいか考えたいものですが。判断は保留しとくけど、まだ途中。