「文学少女」と「マイマイ新子」

最近、アニメ映画「文学少女」と「マイマイ新子と千年の魔法」を見ました。

両方の作品共に小説が原作の映画なのです。
私は、一行も原作を読んでいませんが、両方とも。

それでも、映画を見ていて思ったんですが、文学少女の方は原作をガリガリ削ってそれでも”原作通り”っぽいんですけれど(上映時に見ていた高校生グループがロビーで『原作通りだったね』と感想を言っていたのでそんなに間違った印象ではないと思うんです)、マイマイ新子は原作を再構成して原作とは別作品として作ったように感じられます。

文学少女についてはサブキャラのキャラの掘り下げが殆どないまま話が進んでいくので、あるサブキャラの行動に感情移入しづらい気がしました。おそらく原作では4巻目にあたるエピソードを中心に映画化しているそうなので、3巻目までを読んでいたならば、サブキャラの行動や主人公への気持ちに感情が揺さぶられてグッとくるシーンなのでしょう。もちろん映画だけでも、主人公との関係性が読み取れるシーンは何箇所かありますし、その行動の意味と背景を想像することは出来ます。ただ、やっぱり物足りなさを感じてしまいます。もしかして、それをフックに原作を読んでくださいという高度な顧客獲得戦術なのかも知れません、そういえば原作を紹介する無料冊子を劇場で配布していましたし。

それに対して、マイマイ新子の方は映画だけでキャラ描写は充足されているというか、映画だけで完結している気がしました。原作を読んだ人の話しや昨年の文学フリマでの片淵監督のトークによれば原作のキャラクターに映画化の為に少々手を加えているそうですし(ただちょっと記憶が曖昧なので、俺の妄想という可能性があるのをご了承ください)。

2作品を見比べると、映画化の考え方の差異が目立つように思えました。文学少女は可能な限り原作を壊さず作品世界を再現させるように、対してマイマイ新子は原作をアレンジして映画として完成させることを優先しているような気がしました。とはいえ、さっきも書いたように原作を一行も読んでいない自分が書いても説得力のない類の感想なのですが、原作を読んだ方の見方はどうだったのだろうかと気になるところです。