知らんけど。

唐突だが、先日、知人と綾波レイについて話した。ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破について知人が言うには、綾波レイが人間くさくなって、非常によろしいということであった。例えば、人形だとアスカに言われて平手打ちされるシーンではTVで殴られるに任せていたのが、新劇場版ではアスカの平手打ちを制してしまうシーンであるとか、シンジに料理を振舞おうとするシーンであるとか、人間味を感じさせて、いっそう感情移入しやすくなったそうで、つまり、萌えるのだということなのであろう。その話を聞いて一瞬、安心を感じたことは、こうして新劇場版のレイのあの描写を楽しんでいるファンがやっぱりいたのか! ということである。自分はTV版で綾波レイをスキだというファンは、きっと人形っぽいキャラ造形がすきであるか、人形っぽいキャラの行間を読んで画面では素っ気無い彼女であるが本当は人間らしい部分が隠されており真実の綾波レイはこんなのだと綾波レイの人間らしさを脳内補完して楽しんでいるのだと思っていたからである。しかし、あの新劇場版のレイを素直にカワイイと言える、彼の言葉に偽りも無く、また自分が想像していたように複雑な脳内補完をして楽しんでいるわけではないようであって(ここは確認しておけばよかった)、今回の新劇場版のレイはやはり、観たかった綾波レイ、あるいは10年間待たされた綾波であったのだなあということであるのであったのだなあーということでした。このように、今回の綾波レイは、今までの綾波レイを踏まえると非常によろしいキャラになっているわけですね。とあまり気の利いたことは書けないことに気付きましたけど,意地悪く言えば、前作までのギスギスした雰囲気が一掃されて、家族で楽しめるエヴァンゲリオンになっていたということですね。予告編でも、一体どうなっちゃうんだと思われたアスカが再登場することを思わせるような予告シーンもあって、次回への期待が高まります、といっておけばいいのでしょうか。もっと意地悪に考えれば、これがお前らが見たがっていたエヴァだろう!と見せられている気がどうしてもしちゃうんですよね。これを「新しいエヴァ」と言われても今までのシークエンスのリメイクに過ぎないわけで、本当に新しいんだろうかという疑問が残るんですよね。でも楽しかったのは本当。さて、それで、綾波レイやアスカに対して、どうして真希波・マリ・イラストリアスが、あんなにも唐突で付け足しなキャラに見えるのか(俺主観で)考えてみたんです。でも自分は平凡な答えしか考え付かなかった。それは彼女とシンジの距離感を描く描写が無かったという事なのだという有る意味アタリマエのものだと思う。エヴァってシンジと他のキャラクターの距離感が近くなって、また遠くなっての繰り返しじゃないですか。それはTV版も今回の新劇場版も変わらなくて、アスカは仲良くなったと思ったら劇中から退場(近くなったら突然放り投げ)。ゲンドウとは冒頭の墓参り、作戦後のコメントをシンジに寄せるなど関係が近くなったと思ったら、アスカ見殺しで遠距離に。こんな感じでキャラ同士の距離感の遠近描写の無間地獄。既存のキャラならTV版との比較で、新劇場版ではこんなに距離が近くなった!とか考えられるんですけど、マリについては、それを図るモノサシがないんです。彼女は登場するだけ、そこからシンジとの人間関係に何も発展がない。新キャラだけに過去の蓄積もない。だから視聴者としては、彼女とシンジの距離感をはかりかねるわけですよ。登場が唐突なのは、カヲルも同じなんですけど、カヲルについてはTV版の蓄積があるから、キャラクター同士の距離感を妄想出来るんですよね。もしかしたら、マリも、次回は、ここから距離が近くなったり遠くなったり感じられる描写が登場するのかも知れませんけど。で、そこから、ではマリの破における存在意義とは、という事を考えると、どうしても、劇外の事情を推察するしかないのかなあと思うわけですが、ぼかぁ、画面でしか考えられないので、何も思いつきませんでしたヨ!