なんだこれは?

◇いなずま少女(ひばり書房古賀新一
何故か100円で売っていたので衝動買い。1988年初版って書いてあるけど、本当は初版じゃなかったらしい。表題作はセーラー服の老女集団が襲ってくるシーンが恐ろしい。表題作意外で収録されている「恐怖の材木少女」は一見復讐モノと思ったら恩返しモノだったのが面白かったり。「血、血が欲しい」は原因はあの蛇なのだろうか?◆

◆話芸って、なんだこれは!
先日、「『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全2』刊行記念快楽亭ブラック毒演会 ロフトプラスワン寄席 その3 」@新宿 ロフトプラスワンというイベントに行ったのです。かなり遅れての開始だったので、入場が遅れても大丈夫だったりしたが、ソレに加えてゲストの元気いいぞう氏は依頼漏れ(と言っていたが真相はわからん)で来ず、快楽亭ブラック氏の独演会になりました。

で、イベントの途中で思ったこと。快楽亭ブラック氏に限ったことではないのですが芸人あるいは話芸の専門家について。

実はイベント中盤、秘蔵映像と言うことで、10年前の快楽亭ブラック氏が芝居風に化け猫騒動を演じるビデオを流したのだが、ここがダレダレになってしまい、回りを見渡せば居眠りをしている人もいるほどです、経験上たとえ映像の中身がどれ程面白くて貴重でも出演者が適切なコメントを付けていかないと、画像をただ上映するだけなのはかなりヤバイのです。イベントでは、映像ツッコミが重要なのは映像系イベントで何度も実感しており、残念ながら快楽亭ブラック氏のこのイベントでの映像上映はちょっと退屈でした・・・・・。つうか、この部分だけお金返して欲しい、こういうのを次回も上映するなら、もう次は行かない、マジで。とか思っていたわけですよ。

しかし、です。
しかし、いったん彼が壇上で語り出すと、全く会場の雰囲気が変わるのですよ。例えば後半が開始したとき、彼が話し始めると、それまで居眠りしていたお客さんも目が輝き始め、観客の壇上への集中度が一気に高まったのを体感出来ました。
ビデオではたとえ10年前とはいえ同じ人が出ているのに、壇上で語るのかビデオ出演なのかの違いで、こんなに観客の様子が変わるのは何故?これが快楽亭ブラック氏の存在感なのか!?
この落差には正直驚いた。

会場をつかむ力というのは、いったい、なんだろう?同じ人が語っているのにビデオとの違いは一体何だろう?
ごめん、頭悪いから答えでないや。

あとは話しぶりもアナウンサー的な流暢さとは違い、つまる時は詰るし、カツゼツが悪いときももあるし。
いや、そうしたものも含めて観客を魅了するのが話芸なのでしょうか。むしろ、アクセントになって落語家個人の個性になっている?なんて言うと知ったかぶりになりますが、それにしても一体観客の集中力が、どこから生まれるのか、身振りも含めた噺の芸の力を何となく感じたのです。

一方、それなら画像に同じ調子でコメントを付けていけば、もっと面白くなったと思うのですが、
本人も一緒に画像を見ているだけで、殆ど解説やコメントがなかったのが残念だ。

映像にコメントするノウハウと、話だけで面白がらせるノウハウは、また別のモノなのかも知れない。

などなど不思議な驚きを感じたイベントだった。

本も今度出るらしい・・・・・。大丈夫なのか?(色々な意味で)>イベントで予約しました。

快楽亭ブラックの放送禁止落語大全〈2〉

快楽亭ブラックの放送禁止落語大全〈2〉

しかし、あのビデオ上映のだるさとの落差はどういえばいいのかね?本当に上映中はダメダメでした。途中で裏のイベントに行けばよかったと何度も後悔してしまいましたヨ。例えばア二メ会の14に。知人が何人か行ってた筈なのですが、感想読むとそっちの方が良かったかも?今回は中 野だと思い込んでいた所為で・・・。ううっ。野 方かよっ!中 野のアレにア二メのアの