ママレードボーイ最終回

なんとなくママレードボーイ最終回のことを考えていた。

アニメ版と原作では結末が違う。

もう20年前の作品なのでネタバレもないのだが、
まとめると、
恋仲の主人公たちが兄妹ではないかという疑問について、
兄妹でも構わないという決意を胸に両親に真相を確かめる、
という展開に対して、

・原作ではまじめに否定される。

・アニメでは、なんでそんな事を考えているのwという感じで大笑いされて否定される。ヒロインは海外留学に。

という風に、ニュアンスが別々に処理されていた。
初めて見たときには、原作と違う! と驚いたのだが、
結論から言えばアニメ版のほうがいいなと思うようになった。

なぜかといえば、
悲劇的な雰囲気に浸る主人公二人をクールに見つめる両親の視点というのが、
いかすと思ったからだ。

恋愛とは、
一種の感傷である。

自分こそ悲劇のヒロイン、あるいは激情の虜になってしまう、
そんな気持ちを持つことになるものである。

それを表しているのが、
映画版ママレードボーイの、
例のストーカーとしか思えないヒロインへの視線である。

ああいうのが成立するためには、
感傷的な感情が必要である。
しかし、そういう感情は独りよがりであり、独善的なもの
であるという側面を持つ。

で、原作では、一応の理由はあるものの、
思い込みで暴走する主人公たちを両親は優しく包み込む。

それに対して、
アニメ版では、
笑い飛ばす。

感傷的な主人公らの気持ちなど、
関係なしに。

親としてどちらが正しいのかはわからん。

しかし、
思い込みで暴走する若者の感傷を笑い飛ばすクールな視線、
それが笑い飛ばす両親たちにある。

一年半にわたってはぐくまれてきた二人の恋愛は、
一緒に寄り添ってきた視聴者にとっても、
軽くはないはずである。

そんな重みなど関係なしに笑う。

それがよかった、
と思う。