80年代初頭のロリコンがよく分からないですよ!?

忙しい!
仕事が!
プライベートが!


人生に疲れた! そう叫びながら、泣きながら、河原を走り抜け。

なんてことがありました。

それで現実逃避気味になって、
さっきから80年代〜90年代のアニメディアを読んでいたのですが、
80年代初頭のアニメディアにどうしてこんなにロリコンという言葉が登場するのか。
OUTやアニメックならわかるんですけど。
意外とアニメージュには登場しない印象がありましたが。
学研の発行物にまで頻出するくらい、だから、80年代の初めのロリコンブームは、そんなに凄かったのか。

ところで、
80年代におけるオタク系文化の、
ロリコンっていったいなんだったのか。

まったくわからない。

80年代初頭の使い方がわからんのです。
一体、どういう風に認識されていたのか。
[1] *1
ただたんに、
美少女表現と考えてよいのか。
フィクションの少女表現に対する一定の嗜好と考えればよいのか。

ロリコンファンが好むクラリスとか言われても、
しっくりこない。
クラリスは、ロリキャラなのか。

さくらまみとか、確かに設定上は中学生だが、
原作のさくらさんは、
そんなにロリコンとは思えない。
美少女だとは思いますけど。

あうー。

時代は変わって時代も飛びますが、
90年代にはオタクについて、
ロリコンというより、
「二次元にしか性的興奮を覚えない奴ら」
的な言われ方の方が多くなって(たとえば[2])(でもそうじゃないんだ、オタクも普通に恋愛したいんだ[3]みたいな論調もありますし、こっちの方がアタリマエというか、普通に考えればこうだろうなんですけど。ただこのころからオタクより女性に的を絞った「腐女子」への関心が高まってきた)、 *2
*3


これが、00年代には、
何故かモテ・非モテの議論とリンクし始めたような気がします。

二次元はゲーム人気の影響によって、
モテ・非モテ議論はオタクというより若者の自己認識の問題から、
そうなったんではないか、と適当な事を考えてみました。


そして思うに、
ロリコン→フィクションの美少女キャラへの憧憬」というルートから、
80年代〜には、オタクとは二次元キャラへ思い入れるものだというオタク像が形成され、
そうしたオタク像を内面化したオタクが登場するのが90年代。
さらに、
「二次元に入れあげる→現実の女には興味ない」
というイメージが生まれた気がします。
そして、そうしたイメージをさらに内面化しつつ、
→「現実の女に興味がないのは、モテない人の現実逃避」
→「現実の女になど価値がないから、二次元に積極的に入れ込む」
というルートがあったように思うんですが。
これが、非モテの議論とからみあっていたのではないかと。

本当のところは、どうなんだ。

少なくとも、非モテの議論は、オタクにとっては、過去の因縁を引き摺っている点もあるけど、
そうした議論が起こりえるのは、00年までの歴史的な背景があって、
オタクであれば、当然、非モテにつながるというわけではないと思うのです。
ある意味、時代のなにか。

*1:[1]米澤嘉博「病気の人のためのマンガ考古学 第一回 ロリータ・コンプレックス」(月刊OUT、1980年)

*2:[2]美少女アニメでしか抜けないオトコたち(三浦あかね、週刊大衆増刊、1998.12.27)

*3:[3]ルポ●二次元コンプレックス大解剖 “紙の上の美少女”に走る男が増えている(渡辺由美子婦人公論、2003.11.7)