幸せになりたい、楽園に住みたい。

タイトルのように、幸せになりたいなぁ、と漠然と考えていました。ああ幸せってなんだろう。現世での成功なのか、現実を超えた楽園に住むことなのか。タイトルの言葉はは水木しげるの単行本の解説からですが、「夢前案内猫」などを読むと、もう家族だとか仕事だとかを超越して自分の望む世界での生活が描かれています。実は、この本の前に、「高校デビュー」の最終巻などを読んでいまして、彼氏が北海道から東京へ進学することが決まり主人公が色々悩むものの彼はそんな彼女の心に応えてずっと好きでいるからと彼女に愛を再確認するわけですよ。年甲斐もなく、恋ってイイナ! などと思ったのもつかの間、水木しげるの単行本を読んでしまい、「女はアナがあるだけ幸せだと思いなさい」という台詞だとか、決して愛していない家族を捨てて楽園へ言ってしまう主人公の行動を読んでいると、一見別方向に見えるけど少女漫画の恋と水木しげるの幸せって、ベツモノじゃないよな、どちらも幸せを求める心象は共通しちているんだろうな。おそらく全然違うものに見えるかもしれないが、人生の各ステージや各時代において人が求める幸せを追求すれば若い世代であれば恋愛は大きな部分を占めるだろうしそれが自然であろう、問題は人生を歩むにしたがって、己の求める幸せがなんなのかということを、しっかり把握することではないだろうか。水木しげる作品は、あまりに達観した描写で現実離れしているように思えるかもしれないが、それは様々な人生のステージを経て得られたものであって、10代の少女漫画読者に水木しげる的な達観をしようと思う方が無理なのである。しかし、それぞれのステージで、何を自分の幸せと認識するのかという視点から見れば、十代の女の子が彼氏との恋愛関係を如何に継続させるかという悩みは、その人生のステージにおいては十分に幸せを追求する行為であろうと思うんですよ。その場で必死に自分の幸せを考えられれば、それでいいじゃないかと思うと、そこに大きな違いはないような気がしてきた。と無理があるかもしれないが、1人勝手に妙に納得してしまいこんな日記を書いているわけですよ。